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2006年 07月 23日
1992年3月6日東京都でギャングは生まれた。
たった2頭姉妹で体重は500グラム さすがに2頭なので大きめだった 色の濃いほうがギャング。。。。 ギャングの母親はオーヘンリーペッパークリークジャネット コールネームはジャネット! 鹿児島県のブリーダーから購入 母親のジャネットはゴールドラッシュとアスターリングの血統、 骨太で、顔は結構つまったタイプでした。 ジャネットは父親のAMCHカインドレッドペッパークリークサスペンスに良く似たタイプの雌だった、性格は内弁慶でショーは大嫌いな犬でした、やっとこさっとこJKCCHになる。 父親のほうは、最近ゴールデンを始めた方たちは知らないかもしれませんが、AMCHガナー! アメリカからリースで日本に来てたゴールデンである。 ガナーの色はライトゴールドで癖のないストレートコート、 それにショーではとっても元気で良く走るオス犬だった。 アジアインターでもBOBを受賞するなど、各ショーで活躍をしていた! そんなエレガントなガナーがとっても好きだったわたしは、色が濃く 癖のあるコートでおまけに動きが悪いジャネット(ギャングの母親)に交配をしてもらったのが運のつき!! ダイナマイトバスターオブセルジオメンデス誕生となる! 姉妹だった色のうすいほうだった子は構成的に今一、、、、、ということで、師匠に言われてキープ決定はキカンボーのほう。。。。。。だから呼び名はギャングなのだ!! わたしはこの頃何も考えずに ただ単に動きが悪くてウエーブのあるコートをした雌犬でも、動きが良くてストレートなコートをした犬を交配すれば 足して2で割るとちょうど良く混ざって良い犬が生まれると真剣に思っていたのである。 そしてはじめてのデビュー戦でリザーブクイーンなどもらいまして、そりゃあもう嬉しいのなんのって、初めてブリーディングした自分の繁殖犬だもん嬉しくないわけがない! わたしもこの頃はまだオーナーハンドラーに毛が生えたぐらいで可愛かった??? 今思えばこの頃はゴールデンは全盛期だった。 ベビークラスから必ず相手は3頭以上はいたもんだ! レベルも高く外産だの持ち込み腹だの、それはそれは、、、、、ブリードを取るのが大変だったし、鼻息は毎度毎度みんなが荒かったです。 パピークラスを迎えるとさらに頭数が多くなり、成犬同様の意気込み。 クラブ展でもこの頭数! 一番前がギャング 言わなくても分かると思いますけど一応念のために。。。 ここに並ぶゴールデン、ほとんどがおんなじ父親です 他にもAMCHで種雄はいたのだがリースとなれば日本にいる期間も限られるのと、今までのゴールデンとは違ったイメージだっただけに多くの方が交配をしてもらい、パピー達が多かった。 そのなかでもギャングは安定した走りに良い性格! (ここまでは、やっぱりちょうど足して2で割った犬なんだ、、と) お父さんの良い所 お母さんの良い所をもって生まれたギャングはまけ知らずだった。 ギャングが生まれて一年が過ぎた頃 もう一度ギャングの母に交配をしたのである。 相手はこれがまたもやリースできてたAMCHモンタナスカイだ! 母親のジャネットは次の子は帝王切開で1頭を出産。 とても子煩悩なジャネットは何度も何度も嘗め回しては転がってしまうわが子を、そっとくわえての繰り返しでした。 しかし仔犬が生後40日を過ぎた頃ジャネットは天国へ行ってしまったのである しかも命日がジャネット3歳の誕生日でもあった。 生涯たった3頭しか出産しなかったジャネットだけど、私はこの犬にいろんなことを教わりましたし、セルジオメンデスゴールデンもこのジャネットがいてくれたからこそ存在するのです。 今でもジャネットのブリーダーである鹿児島の嶋田さんには感謝しています このジャネットの死でやる気を失ってしまった私、だけどどんなにつらくても残された犬たちの世話は当然の事だけどしなくてはならない。 こんな大きな出来事があったというのに犬たちは、何もなかったかのように過ごしてる。 こんな事ではいけない! 時間が私の気持ちを落ち着かせてくれた、、、、、、 若くして天国へ行ってしまったジャネットの分と、これから始まる自分に起こる試練に。。。。。。。頑張ろう! ここで私は誓う!ギャングを日本の歴史に残るスーパードックにしてみせる!!! この後CERGIOMENDES犬舎は埼玉へと住所を移した。 ジュニアクラスになったギャングにとってはJKCCHまでの道のりにはそんなに時間はかからなかった。 ジュニアクラスでCHになったギャングの最初のデビュー戦は毎年4月に行われる本部展。 一歳になったばかりのCHクラス 私のほうが緊張する。。。。 ここではファーストアワードを受賞する この年の雌の本部展BOBはAMCHでホーナーズ犬舎のフィーバーでした。 次の年の本部展では見事! ベストオブブリード!! この年の本部展にはアメリカよりアスターリング犬舎のブリーダー&ハンドラーがゴールデンレトリーバーのトリミング&グルーミング講習会とショーイングもかねて来日していたがギャングには勝てなかった。 本部展も終わり、次なる課題はブリーディング! さて ギャングに誰を交配相手に選ぼうか、、、、と言うよりもう決めていた。 この頃ある人の紹介でAMCHホーナーズワイルドイタリアン コールネーム グイド!が私のところでボーディングをしていたので、交配相手はグイドに決定 まず、どうしてグイドだったのかと言うと、ギャングに対してグイドはショートバックで、一番のポイントは走りだった! もちろんギャング自信も走りには問題なかったのだが、グイドのイケイケの走りには目が釘付けとなった、それになんともいえないタワシのような頭部 赤ちゃんのような可愛いフェイス! 一度目のグイドとのブリーディングは大成功となった! 子供達は、どこのショーに行ってもかならず良い成績を取るのだ! しかも女の子ではジュニアクラスにて本部展でクイーン!まで受賞し、後にアメリカナショナルゴールデンスペシャリティではリザーブウイナービッチ&AMCHとなる。 その名はAMCH セルジオメンデスJP'Sパリスゲラン! 親子で2年にわたり本部展ベストオブブリードを獲得したのだ! 2度目も同じ組み合わせのブリーディングにより、今年の本部展ベストオブブリードを獲得した、ビビの母親が誕生したのである(JKCCH セルジオメンデスJP'Sワイルドブリーゼ)この犬もジュニアクラスにて本部展WBを入賞する! 子供達の活躍を楽しみながらも、まだまだ物足りない私は状態の良い時だけを選んでギャングを出陳した。 ギャングは出産後のコートの上がりが早く、この写真は5歳の時のものです もちろん本部展だが、当然のことながら柳の下にもそんなにドジョウは沢山いるはずもなく、BOB以外は必ずアワードオブメリットを獲得したのです。 この頃の私はもう一頭ギャングに負けずとも劣らない雌犬が欲しかった。 なかなか理想の雌が見つからないそんな時、何年も前から欲しかった血統のゴールデンを縁あって購入する事になったのだ! AMCHラッシュヒルズ ハーゲンダッツの子供である。 しかも私は気に入ったものは洋服にしても、色違いで買うという癖があり、それとこれとは別だと人は言うけれど、欲張りな私です 雌1頭 雄2頭譲ってもらう事になった。 今までの血統とは違って見た目も全然違う! 色はメチャメチャ濃く、毛なんか全然でないじゃないか、、、、、おまけにテンションの低い事! しかし骨格構成は非常に良いから文句は言えない! 名前はジロウ ゴロウ ナオミ! 知ってる人はなじみ深い名前だと思う。 そうです! ナオミは前回のサンダーの母親なのです 、そしてジロウはビビの父親なのです。 ここでギャングの血とナオミの血があれば将来は面白い組み合わせが出来るであろうと想像したことを覚えている。 そんなこんなでギャングは結構いい年令になり、ナオミもJKCCHを完成し、今度はナオミをCHクラスとして出陳しはじめた。 本部展にはナオミ3歳ギャング9歳で挑む! この年2000年の本部展では雄クラスにてジャスティスですでにBOBを獲得している、、、にもかかわらず雌クラスで今度はナオミがBOB ギャングはアワードに入賞したのだ! 盆と正月がいっぺんに来たような出来事だー! ちなみに1999年の本部展でもジャスティスがアメリカ人ジャッジにてBOBを獲得したのだ。 スゴイ!ジャスティスは2年連続BOBを獲得した事になる、ちなみにジャスティスとナオミは同じ母親の子供です。。。。。。。 そこで私は今後の事もあるので今年のランキングをナオミで追う事に決めた、、、、、しかし調子に乗ってる私の期待はだんだん乏しくなって来る。 それもそのはず、ナオミと言う名前をつけた理由として 色が濃い スポーティっぽい、、、、、黒人のモデルさんの”ナ。オ。ミ。ヨ~”が浮かんじゃったのです。 このような色の濃いゴールデンは見た目は地味だしアメリカの本場じゃないんだから、簡単に通用するわけがない。 ここまではランキングも1位を保ってはいたが、関西方面でのショーは負けっぱなし!お話にならないではないか??? 2位をつけてるゴールデンも関西方面では、常に勝ち進んでいるとの情報。 1位を獲得するには直接対決で勝たなくてはならなくなった、、、、、しかしそれはちょっと厳しい状況、相手は綺麗なタイプ こっちはくろんぼだし一般請けはしないタイプ、、、、、そんな中 いつでも状態を維持させてた大御所が出ることとなった! そうです!ギャング様 ギャングは別に1位などどうでも眼中になかったが、乗りかかった船だし 何とかしてナオミを1位にしたかった私の願いは、、、、、 直接対決には必ずナオミとギャングを出陳し、もちろんだからといって私の所がBOBを取れるとは決まってない勝負! だからドックショーは面白いし燃えます。 さて じゃあハンドラーは誰にする? ギャングは私以外にハンドリングされた事がない。 だけどナオミもできる事なら勝たせたいのが作戦だ。 良し! ギャングの走りをビデオでしか見たことがない私はいいチャンスだと思って、仲間のM氏にギャングをその場でハンドリングをしてもらうことにした 私はナオミをハンドリングする事になった。 作戦大成功! もちろん勝利はいつでもギャング! ストッパーの役目のギャングでナオミもペディグリーアワードを受賞できたのです。 私はギャングを見ていて 最後に10歳で本部展に出したい気持ちになった。 プロになって何年もたっていて、プロハンドラーに自分の大事な犬を引いてもらい。。。すごく感激したのを今でも覚えている! 拍手をするとターボがかかるギャングの走りには、まだまだ行ける!と確信できたのです。 若い頃のときと違って充実してる いや!しすぎてたかもしれない。 私の方針としてCHになったからといって そこでその子のショーイングが終わるわけではない! ここからが勝負だと常に思っている! いつでもここ一番って時にはショーイングできるよう、そして勝てるような状態を維持する事! そんな私の考えをギャングは知っているかのようだった。 いつでも良い状態をキープできたし、特に自宅にいるときのギャングは普通のゴールデン、しかしショーの会場ではスターに徹していた。 自宅でのケアの時はトリミングテーブルで座る専門なのに、会場ではまったく座らないでいるのである。 皆が自分を見に来ている事に優越感があったんだと思う。 私はいつでもギャングとショーをするのが自慢だった。 そしてつらい事や苦しい事があっても彼女がいたから平気だった 全て乗り越えられたのである。 こんな事を思い出した、、、、まだギャングが若い頃 トリーツと言うビスケットのポスター撮影の依頼が来た、もちろんギャングを使ってもらおうと、、、、、だけど万が一の事も考えてもう一頭お客様のお預かり犬で、まだ若いおんなの子も連れて行ったときのこと。 ポスターのイメージとしては外人ドクターがビスケットを持って 犬の口元にそっと持って行く、、、そして主役のゴールデンがそのビスケットを食べようかな。。。。と言うような絵が撮りたいというのだ! よーし。。。ギャングもこれで芸能犬と言いたいところだったが、私の心配は的中した! カメラマンのM、Nがちょっとお疲れ状態に、、、、、私だって冷や汗だらだらよ。 ギャングの口元にビスケットを、なんてところではない! 撮れた写真はいつもガツガツと食べてしまっている姿だったのだ。もちろんNG! 万が一のゴールデンを連れていてて良かったよ。 そして、ついにギャングにとって最後の大勝負! 10歳にして2度目のベストオブブリード獲得 リンクの中でのギャングはそれはりりしかったんです しかし触診が終わってアップダーンとジャッジに支持されて、戻ってくる時のターンが、、、、、勢いが良すぎたせいでもあるが、年齢が年齢の為にパッドがつるつる状態でスットーン!と転んでしまったのだ、、、、そのとき私は心臓が止まるかと思うほどビックリした、、、、がしかし、後本犬のギャングと来たら! すぐさま立ち上がり、何もなかったかのように状態を立て直しジャッジの所まで戻り、お決まりのフリーで見せ場を作る。 もちろんもう一度アップダーンをやり直しの支持がでて 2度目は同じ失敗をしないところが一流犬! BOBを取る瞬間思わず ヤッター!!と声が出た。 それと同時に今までのギャングとのドックショーの旅が走馬灯のように頭の中で グルグルと思いだされて、涙が止まらなかった。 最後の花道が10歳のBOBなんて、なんて幸運なんだろー そしてギャングのお母さんのジャネットの分まで頑張れた!と感無量でした。 そしてギャングもまだまだ元気とは言っても10歳を過ぎた老犬には違いない、そこで6歳ぐらいから定期的に健康診断を受けていたのだ。 ちょうど本部展が終わったあたり、ギャングの胸のあたりに小さなしこりを見つけた。 どうせたいしたことはないだろうと思って、次回の健康診断のときにでも見てもらおうと しばらく様子を見ていたが、やっぱり気になる。。。。。 すぐに病院へ行く事にした。 病院について診断を受け、少しだけ針みたいなものでしこりの部分を取り、病理検査へ回してもらう。 それから2週間ぐらいたって院長先生から電話があった。 結果が出ましたので、来て下さいとの事 結果を聞いて私は耳を疑った。 エーー!! 悪性の血管肉腫 癌なのである。 ギャングの命は3ヶ月~6ヶ月と告げられ、、、、、その場で私は取り乱してしまった! そんなはずはないのに まだこんなに元気なのに、、、、。 運が良いのか悪いのか、まだ胸に出来たしこり以外はどこにも転移はしていない。 今のうちに胸のしこりを取りのぞく手術をする事になった。 もしかしたら、運の強い犬だから直るかもしれない!! そう思った。 手術は無事に何事もなく終わり、、、、、術後は定期的な検査をするようになる。 しかしギャングは何も変わらない 元気だ、、、、、、、、。 それから10ヶ月ぐらいはたった頃 検診を毎月している中で、、、ちょっと貧血気味だというのだ、クスリが出されて毎日それを飲ませるようになった。 今度は毎週病院に通うことになり、病院にいくたび貧血の検査をすると 又ひどくなっている。 輸血をする事になったギャングはちょっとつらそう。。。。。 もちろん私のところには、とびっきり威勢の良いギャングの子孫が沢山いるので 血液が合うかどうかテストするために3頭を病院まで連れて行くことになった。 血液の合った子孫の血をギャングの体の中に、ちょっとづつ入れていく。。。。 私はその間ずっとそばを離れなかった。 輸血したことによってギャングは少し元気になってきた! ご飯も良く食べてるし、フラフラしない。 ちょうどその時期は1月でドックショーも毎週のように行われる。 FCI千葉インターと連合展が2日連続で、エントリーをしていたのだが、ギャングを置いてはいけない。 アシスタントに仕事を任せ、私はギャングの様子を見てることにした。 思い起こせば常にギャングはショードック生活を送っていたせいで、こうやって落ち着いて一緒に居られることがほとんどなかったことに気がついた。 とても充実したような2日間を過ごせた。 それから何日かたったある日 ギャングが立てない! 足が麻痺を起こし始めた。 でもトイレに行きたい時は、ちゃんとそういう目で教えてくれる。 章代と私で、外に連れて行き トイレを済ませる。 それから運命の2月4日は、うつ伏せになった状態のままで 下にペットシーツを敷き そこでトイレを済ませるようになる。 明け方までに何度も嘔吐を繰り返すギャング。。。。 しかし4日の夜もどろどろ上のスープを食べてくれた。 非常に顔色が良い日でもあった。 ギャングの調子が悪くなってから私たちは、ギャングと一緒の部屋で過ごすようにしていた。 その日の夜も、仕事を終えて いつものようにのんびりしていた時間でした。。。。。 全てが終わったような気がした、、、、、いままで私の目を見て 穏やかな顔をしていたのに。。。 ギャングの死を聞きつけて、沢山の人が来てくれた。 そしてギャングの為に各地の人たちから送られてきたお花で部屋がにぎやかになった。 ゴールデンレトリーバーは58%が癌になるといわれています だけどゴールデンが大好きです。 私が今なぜギャングヒストリーを書いたかといいますと、セルジオメンデスゴールデンがどんな風に誕生したのか、そして10歳でも若々しくショーで活躍をするギャングをみんなに知って欲しかったからなのです。 1992,3,6~2004,2,4 ギャング
by cergio-mendes
| 2006-07-23 23:07
| Golden Retriever
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